性欲は 低俗?

コラム

セックスを生殖と結び付けて考える意識は、いまだ根強く残っています。

結婚して子供を産み終えてしまえば、女ではなく母になる。母にはセックスは必要ない。ごく単純に言えばそういう事になってしまう。

「いい年をしてみっともない」という言葉・・・

「いい年」になったらセックスを放棄するのが正常で、逆にいつまでも色香を残していれば、「みっともない」「いやらしい」などと見られて、むしろ悪い印象を与えてしまう。

また、「そんなことは卒業した」と言ってしまえば、何となく高い次元に上ったような気がするので、早々に性欲にフタをすることになる。

これは、社会的地位を確立しかけた、男にとっても、同じことが言える。

しかし、時の流れには従わざるを得ないにしても、若さは一瞬にして失われるわけではありません。

それなら、一足飛びに「性欲なんて卒業」と、言い切る必要もないと思います。

また、「肉体的な性欲は低俗だけど、精神的な愛は崇高だ」という思い込み、「色香を卒業して人生の目的を追求する方が、人間として豊かな生き方だ」という価値観、

これは、僕にとって、どこか「あきらめ」に感じてしまうんですね。

流れの中にいるのは仕方がないとしても、手足を広げてしなやかに泳ぐならば、生活はもっと豊かになるはず。

必ずしも、「射精」をセックスの到達点と考える必要はない。

一緒に裸になって抱擁する、互いの性器にふれあって刺激をしながら快感を分かち合う、

肌のぬくもりを感じながら、癒しのひと時を過ごす。

その先に、女性のオーガズムがあったのだとしたら、これほど豊かな時間もありません。僕にはね(笑)

生殖としてのセックスは、男性の性的興奮の高まりから射精まで、そのほとんどの時間の流れが、「男の都合」です。

でも、「生殖」から解き放たれた時に、性欲にフタをするのではなく、

その時こそ、「女性の快楽の高まり」にシフトする事は、あってしかるべきです。

あ~あ、もったいないもったいない(笑)